想念観察

今は毎朝30分程度の瞑想を続けている。

だけど、瞑想から離れると、瞑想していたことが信じられないくらい、雑念、妄念、感情のほとばしりがある。

これを何とかしたい。

そのために、本当に原始的はやり方だが、部屋の眼につくところ、壁に、「想念観察」と赤い文字で書いた紙をぺたぺた貼って、日常生活の中で想念観察を、意識し、思い出すようにしている。

想念観察は、あくまで観察だ。

想念をコントロールしたり、抑えたりすることではない。

だけど、想念観察の目的は想念コントロールにあるのではないか。

怒っている時、その怒りの感情を観察できるだろうか?

怒っている、怒り狂っている自分を第三者のように客観的に観察できるようになれば、それが目標とする精神の有り様かと思う。

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