T氏とは、高藤聡一郎氏のことだ。
1970年代の後半から90年代初め頃まで、彼の仙道、気功を本や、ビデオ、講演会、勉強会などで学んだ。
もう20年、30年以上前のことだが、当時のことを思い出しながら書こうと思う。
最初の出会い
私が高藤さんに最初に会ったのは、1970年代の後半だったと思う。当時、私は受験に失敗し浪人をしていた。
高藤さんの著書「仙人になる法」(大陸書房)を買って読んで、自分なりにこの本に書かれている小周天のやり方をやってみたのだが、
なかなかうまくいかなかった。
それで高藤さんに手紙を書いて質問してみた。
当時は個人情報保護という意識が社会に薄く、どうやって高藤さんの住所を調べたのか、今は思い出せない。
とにかく、小周天のやり方について手紙を出したところ、高藤さんから返信の手紙がきた。
内容は思い出せないが、ひとつだけ覚えているのは、「小周天をうまく行うには、まず、座って2時間、無心になれること」ということだ。
それで手紙の最後に「勉強会をやっているので興味があったら来なさい」と書かれてあったので、会って話を聞こうと思い、高藤さんの自宅に行った。たしか何千円かお金がかかったと思う。
場所は、足立区だったが、細かいところまでは忘れてしまった。竹ノ塚だったか……。
綾瀬か北千住から乗り換えたのを覚えている。
高藤さんの住んでいたのは、平屋の住宅だった。
母親と二人暮らしだったようだが、この時は母親には会っていない。
最初に会った時は、もう一人、大学生が同じように話を聞きにきていた。
この時、高藤さんがどんな話をしたか、今となってはまったく思い出せない。
ただ一つ、鮮明に覚えていることがある。
自分が手のひらを出すと、高藤さんが手をかざした。
すると、自分の手のひらの真ん中あたりに、ピリッとした感覚が起きたのだ。
高藤さんが、「気とはこんな感じ」と言ったかどうか忘れたが、とにかく、気を体感させてくれた。
高藤さんに個人的に会ったのはその1回だけだったと思う。
気を感じたことだけが収穫で、それ以降、小周天の練習を時々していたが、うまくいかなかった。
2度目の出会い
1980年代に入ると、高藤さんの著書「驚異の超人気功法」(学研)が20万部を超えるベストセラーになった。
20万部というと、大したことがないように思えるが、学研のムーブックスから出たこの手の本が20万部以上売れるのは、異例だったらしい。
1980年代は、オカルトブームというかそんなものがあったと思う。
高藤さんはその後もムーブックスから本を出した。
学研から出ている「月刊ムー」は当時、本の著者や外国から人を招いて講演会を開催していた。
ある時の講演会で、高藤さんが出られる、というのをムーで知って、「また高藤さんに会ってみたい」という思いもあり、そのイベントに行ってみたのが、高藤さんとの2度目の出会いだった、と思う。
このイベントでは、アメリカからアレックス・タナウス(故人)という超能力者も招いていた。この人がする予言が当たったり、自分のエネルギーを光にして発光させることができるということだった。
それはともかく、講演会で講演された高藤さんが変装していたのにはちょっと驚いた。
頭ニカツラ、伊達メガネをして、口ひげ。
今、高藤総一郎でググると出てくるページの右側に高藤さんの概要が出ている。
そこに高藤さんの写真が出ているが、まさにこれが変装した高藤さんだ。
本当の高藤さんではない。
高藤さんに会ったことのある人なら分かると思うが、高藤さんは、五分刈りくらいの短髪、メガネはしていないし、ひげもない。
ハンサムと言っていいと思う。
彼は写真に撮られるのが嫌だったのだろう。
勉強会
そんなこんなで、またやる気が出てきた。
それで、高藤さんが主宰する「中国仙道の会」にお金を払って入会した。
会の名称はもしかすると違うかもしれない。
断片的な記憶では、勉強会というのはどこかの公営の会館の一室を借りて、そこで、練気功や呼吸法などを教えていたと思う。
一通り終わって、外を出て、通りを高藤さんと共にたくさんの若者が歩いていたのが、妙に記憶に残っている。
高藤さんが中心にいて、いろいろ話しながら歩いている。その周りを20代の若者が取り囲み、彼の話を熱心に聴いていた。自分もその一人だった。
Kさん
高藤さんにはKさんという一番弟子がいた。
後で知ったのだが、Kさんは私と同い年だったと記憶している。
中国仙道の会は、一般的なカルチャースクールのような形で、毎週、大手町で練気功の教室を開いていた。
勉強会というのは、そんなに頻繁には行われておらず、そのため大手町の教室に通って練気功を習っていた。
この辺の記憶は曖昧で、書いておいてこんな事を書くのはまた変なのだが、勉強会というのがどんなものだったのか、よく覚えていない。
よく覚えているのは、この大手町の教室の方だ。
ここでは、Kさんが教えていた。高藤さんは一回も顔を出していない。
何か月か通っているうち、ある日、Kさんから電話がかかってきた。
「今日、時間あいてる? あいていれば、気功教室があるんだけど、自分は行けないので、君が教えてくれ」というとんでもない依頼だった。
今思えば、何で?って思うが、当時はKさんの力になれるのが嬉しかったのだろうか、指定の時刻に、指示された場所に行って、練気功をやりながら教えた。
この時に受けた質問は今でも覚えている。
「気功ってやっていて何の効果があるの?」
私はこの質問にはきちんと答えられなかった。
今だったら、何と答えるだろうか? 健康増進っか?
とにかく、何の前触れもなく、突然電話がかかってきて「今日、○○でカルチャースクールがあるから先生をやって」ということで、何度か指導したと思う。
もちろん報酬はない。
当時は80年代後半のバブル全盛の頃だった。
仙道の会である時、事務所の引っ越しがあった。
それまでより広く、部屋がいくつかあるようなマンションの一室だったと思う。
引っ越しの作業は、仙道の会の会員たちでやった。
トラックを借りて、荷物を運んだ。
たしか、常磐線沿線だったような気がするか、違うかもしれない。
仙道の会では、高藤さんは、あまり顔を出さなかったと思う。
Kさんが中心になって、カルチャースクールの手配などをしていた。
退会
私自身は、当時、仕事を止め、定職にもつかず、実家で一日、気功、仙道をやっていた。
会員だったか、募集したのか忘れたが、何十人かを集めて、高藤さんが練気功や、呼吸法などを教える「イベント」にも出た。
その間も、Kさんが指導する大手町のカルチャースクールにはずっと出席していた。
この授業では、気功を指導してくれるのだが、Kさんが気について、いろいろ話もしてくれた。
覚えているのは、「海ヘビのスープは、精がつく」「サプリメントでおすすめは、“緑のにんにく”」などだろうか。
このカルチャースクールで知り合った人も何人かいた。
早稲田の夜間部(もしくは定時制?)に通っていたIさん、強烈な存在感を示していたTさん、などなど。
Iさんとは、ウマが合ったのか、二人で会の「イベント」に出た。
Tさんは後から入ってきたのだが、めきめき上達した。ただ、ある日、彼は会を辞めてしまう。
辞める直前に言っていたことは、
「ここでは、高藤さんにマンツーマンでついていけば、小周天など、どんどんできるようになると思う。高藤さんがいない場では、やっていても上達しない」
といういうなニュアンスだったと思う。
90年代の初めだったと思うが、ある日、会から呼び出しがかかった。
何かな、と思いながら行ってみた。たしか喫茶店だったと思う。
行ってみると、会の会員(10名ぐらいいたかどうか)と高藤さんも来ていた。
話を聞いてみると、
どうもKさんが会員からお金を必要以上に取っている、ということだったと思う。今思えば、Kさんが会の経理を担当していたのだろうか。
言われてみれば、私も相当な額を会に払っていた。
その時点でKさんはまだ来ていなかった。
やがてKさんが喫茶店に来て、話が始まったと思う。
どんな話だったか、まったく覚えていない。ひとつ覚えているのは、高藤さんがKさんの頭をポカリと叩いたことだ。
高藤さんは、日頃からKさんのお尻を蹴ったりしていたが、それは師匠と弟子の関係の一つなのだろうな、と思っていた。
とにかく、その時はkさんの頭をたたき、Kさんはその場で誓約書を書かされた。
たしか16万何千円を返金します、という内容だった。Kさんに払った額は人によってまちまちだったはずで、私も16万以上は払っていたように記憶しているが、高藤さんの判断で、全員一律に16万弱を返しなさい、となったと思う。
このことがあって、私は会に行く気がしなくなり、会とは関わりを絶った。
その後、1年近い、無職・気功三昧の生活を止め、運よく就職できた。
ただ、仕事は忙しく、毎日残業で、気功どころではなくなった。
2005年頃だったろうか、ネットでとある気功のサイトをよく見ていた。
サイトのタイトルは全く思い出せず、今、現存しているのか分からない。
そのサイトに気功経験者や、高藤仙道に関わった人からの投稿がいくつかあり、
その中に高藤さんのその後の動向が書かれたものがあった。
これも思い出しながら書いているが、
その投稿では、高藤さんが「そろそろ消えるか」と周囲に話し、
Kさんと二人、本当に行方が分からなくなってしまったそうだ。
高藤さんの著作の中で、中国の仙人についての記述があって、
そこにはこんなことが書かれてあった。
19世紀頃、中国の仙人が、多くの人が見守る中、体が徐々に浮き上がっていき、やがて、天高く上がっていき、姿が見えなくなった。
仙道の修行を積んでいくと、小周天をまず極め、次いで全身周天、そして大周天(ヨガのクンダリーニ)に到達する。
最終的には、体を気の状態にまで高めると、中国の仙人のように「気化」するのだという。
私が思うに、高藤さんと一番弟子のKさんは、どこか、山奥にでも行って、最終的な修行をしたのだろう。
そして、高藤さんとKさんは、体を気の状態にまで高め、「消えた」のではないか。
私は今、20年以上前に習った練気功と馬歩、その他の気功を少し、短い時間だが続けている。
今は健康維持が主な目的になってしまったが、気をコントロールしたいという思いはある。
昔、講習会で『K』さん に会って驚きました。殴られ過ぎて『顔の形』が変形していたのを憶えています。今回、初めて理由を知りました。
その後、別の弟子の『京都のS』さん も『必要以上にお金を徴収』していた事かが発覚しました。この時は、返金は無し。被害者が自分達で高藤先生絡みの企画を立てて『被害額相当』を『イベント』の形で返して貰う事で決着しました。私は面倒だったので『仙道練気功協会』とは、それっきりです。中々の『変人』揃いだったので懐かしく思い出してます。
決別する前に『S』さん から、『高藤先生の修行が完成して、後は消えるのみ』との報告を聞いて、気になってました。
貴重なお話を有難うございます。自分の青春時代とモロ被りで、
あの狂った時代とその後の日本の衰退を予見した高藤氏は出色の人物でしたね。
今はネット社会の充実により、当時の弟子の方々のお話もぽつぽつ聞けるようになり、
高藤氏の実像も少しずつ明らかになりました。もしよければ他のお話もお聞かせください。
商売気の無い、貴重な真実としてずっと持ち続けたいと思います
ここを拝見して、「あっ」と思い当たる節がありましたので書きこませて頂きます。
確か帝財の本だったと思うのですが、弟子のkさんが、会の大きな海外旅行に
参加表明していたけども資金がままならず、不参加かと思いきやギリギリで大金を
まとめて支払ったエピソードがありました。不思議に思った高藤先生がいきさつを聞くと、
彼オリジナルの仙道的引き寄せ法で大金を棚ボタで得た‥確か壺か何かが何十万で売れたとか
‥という内容ですが、実際は思い余って会の会費をピンハネしたのでは、と。
今となっては真相は闇の中ですが、本の発行時はバブル全盛の頃。会がガタガタするのは95年以降。
人生色々ですね。
それはアシスタントのk林氏ではなく、京都の当時鍼灸学校生で空手家のs木さんです。懐かしいですね… s木さんに1990年頃仙道やら、「1999年は大丈夫か」質問したりしました。
> 確か帝財の本だったと思うのですが、弟子のkさんが、会の大きな海外旅行に参加表明していたけども資金がままならず、不参加かと思いきやギリギリで大金をまとめて支払ったエピソードがありました。
それはアシスタントのk林氏ではなく、京都の当時鍼灸学校生で空手家のs木さんです。懐かしいですね… s木さんに1990年頃仙道やら、「1999年は大丈夫か」質問したりしました。