言葉ではない何かを見つめる瞑想

心を無にする瞑想をする。

すると、
言葉ではない、何か、印象のようなもの、そんなものを感じる。

いや、感じるようにしているのか。

G.アダムスキーの「テレパシー」という本の中で、
アダムスキーは、
「この世界には、様々な想念で満ちている。」と主張している。

私の脳は、
私が発している様々な言葉、思い、感情、想念で満たされている。

だけど、空間には、私の想念の他にも、地球人70億人の想念が飛び交っている。

さらには、宇宙そのものの意識の声、のようなものも、実は私の脳は感知しているのかもしれない。

心の雑念を取り払って、無にしてみる。

無念無想の状態にすると、今、この瞬間にも、私の脳、私の心には、70億の「言葉にならない言葉」、あるいは、
私の深層からくる私自身の「言葉にならない言葉」、さらには地球以外の惑星に住む住人の想念、感情が通り過ぎているのかもしれない。

それらの「言葉ではない言葉」が心を通り過ぎていくのを、ただ眺めている。

そこに、今自分が抱えている問題の答えになるようなものがないか、捜すことはしない。

ただ、自分の言葉を止めて、心の中の「思いではない思い」を見つめている。

そういう瞑想をしてみた。

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